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#41 「AIU保険会社IS社員時代 1」

2023.10.25 更新

児島有一郎

平成7年10月1日からAIU保険会社のIS社員(AIU保険会社の代理店を目指す研修生)として、先日解体された松山市一番町の愛媛銀行前にあった青木ビル(昨年解体されました)のAIU保険会社に勤め始めました。10、11月の2ヶ月間が研修期間でそこで一定の成果を上げれば12月1日から正式に入社し、そこから5年以内に独立を目指すシステムでした。毎年独立の日は12月1日と決められているので、1ヶ月入社が遅れて1月1日入社だと実質5年と11ヶ月いられるので独立までの数字には少し楽になるところでしたが、それは入社してから分かった事でした。10、11月の2ヶ月の内、各半月の合計1ヶ月を広島支店で保険内容の勉強とセールストークの研修を行い、残りの1ヶ月は松山で実際飛び込み営業をして契約金額に関係なく5件成約すれば、12月から正式にIS社員となれると言われていました。契約5件は難しそうですが、0件でも勤務態度、やる気等で採用はされたようです。5年以内に独立を目指すと言っても5年間IS社員が約束されている訳ではありません。5年で扱い保険3000万円(積み立て保険料は除き掛け捨て部分の保険料のみ)と大同生命保険で死亡保険金総額10億円の成約をしなければ独立出来ません。当然、短期間でこれだけの成約を上げる事は無理なので、1年目は450万のノルマが課せられています。3000万を5年で割れば1年600万ですが、1年目は低めに設定されています。実際は400万届かなくても残れたようです。しかし、2年目以降が厳しくなってきます。自動車保険料等は契約していても、毎年事故がなければ割引になって行き減っていくので契約高としては年間660万ずつ5年間コンスタントに上げていかないと5年で3000万は難しい数字でした。自動車保険が平均すると1台5万~10万の保険料とすると金額にも寄りますが、1ヶ月で5~15台の契約を取って行かなければなりません。実績は1年毎ではなく、3ヶ月毎に精査されて数字が足りない場合は、AIU本隊の担当社員(通称ソリシター)から退職を薦められます。当然辞める必要はないのですが、日々ソリシターから容赦ない叱責が飛び辞めざる得ない方向に追いやられていきます。給与は2ヶ月の研修期間とその後の6ヶ月間は基本給だけの総支給24万で、そこから社会保険等を引かれて手取りは18万位でした。しかし、立場は社会保険付きの個人事業主の様なものなので、営業経費は何も出ません。ガソリン代もその他の経費も全て自分持ちです。AIUから支給されたのは名刺位でした。8か月後からは、契約の成果次第ですが基本給が減って行きその代わり保険料収入の8%が手数料として基本給にプラスされます。独立した場合の保険料収入は保険の種類(自動車・火災・傷害・賠償)によりますが当時は22~27%でした。3000万で独立すると損害保険の部分で約750万前後の収入になります。これに大同生命の生命保険部分の収入も付くので独立出来れば最低でも800~900万の収入になる事になります。独立までは会社の最低ノルマ3000万で独立する場合では総額で月30万届くかどうかと言う収入でした。

当時のAIU保険会社は、外資系(本社・資本は米国)の会社で、規模は日本国内ではシェアは少なかったですが、世界的には大きな会社で財務内容はS&P社・ムーデーズの2社の格付け会社からAAAの認定をされていました。研修社員制度も日本の損保会社より厳しく日本社だと3年で2000万、最低で1500万で独立出来る所を敢えて3000万にする事で、損害保険のプロフェッショナル代理店を育成していました。日本社で1500万の扱い保険料で独立しても収入が400万足らずしかなく、経費などを引くと損害保険だけでは生活が苦しく副業をしてしまう傾向があったようです。しかし、AIUの3000万での独立は大変ですが独立してからは、プロ代理店として生活していける収入でした。私が入社した時は最後に独立した方は6年前が最後と言われていました。私が入った時は10名以上にIS社員がいました。年齢は26~45才位でしたが私と同世代か少し上の人が多かったです。AIU本社の社員も比較的若く支店長が40才位で、他の方はもっと若く支店の社員数も日本社に比べると少なく給料も安いと言われていました。当時の日本社の損害保険会社の支店長は年収1500万と聞いていましたが、AIUでは1000万に届く位と言われていました。AIUの事故解決の特徴は、妥協しても良いから早めの事故解決をする事でした。事故で揉めた場合は、少し位多めに保険金を払っても1事故を解決させた方が社員の負担が減ると考えていました。保険金の支払いを渋って事故解決を長引かせていると、担当社員の仕事量が増えて1人では出来なくなり2人3人と人件費が掛かるので少ない社員で効率よく仕事をこなす経営方針で、外資系の考え方だったと思います。

入社して1週間程で、2週間の広島研修に行きました。松山からの同期はF君がいました。年齢は私より1,2才下でした。F君は松山の中規模の食品会社の息子さんで家業を継いでいましたが、社長のお父さんと喧嘩して辞めたと話していました。自分の力で独立して見返して見せると話してくれました。広島の研修に行くと2ヶ月目の研修生を入れて6名程の研修でした。宿泊先は大学の中四国大会でいつも泊まっていた広島市内の流川にあるホテル28が宿泊先でした。私が大学時代は1泊2800円なのでホテル28という事でしたが、1泊3600円になっていました。ホテル名はホテル28のままでした。広島での研修中は9時~5時までの仕事で最初の1週間の保険の勉強も苦にならず、5時に終わると同期の3人(1人は高知)で毎日の様に飲みに行き、どうして代理店研修生になったのか等色々な話をしました。2週間目の研修に入りセールストークとセールスマニュアルの練習が始まりました。AIU保険会社の主力商品は企業向けの団体傷害保険でした。企業に、従業員の業務上の事故に備え保険を掛けてもらい企業の法律上の責任に備える為の保険がメイン商品でした。それを飛び込み営業、TELアポで売り込んで行く手法でした。私はこのセールストークのTELアポの練習が苦手でした。研修教官から一言一句間違えずに覚えて感情表現を交えてセールストークしろと言われるのですが、私は語尾やニュアンスを少し間違えたところで成果に変わりが出るとは思えず、一言一句を覚える気持ちになれませんでした。また、セールスマニュアルは顧客の切り返しに対しての話し方をそのタイプに分けてマニュアル化しており、それを全て覚えてロールプレイング(1人が顧客役になりセールの練習をする)を繰り返す日々が続きました。前職の日立化成でも営業でしたが、ロープレの練習はした事がありませんでした。その時、研修教官に言われたのは、AIU保険会社から教えられる営業の武器はこれしかないと言われました。数年に1人は、スーパーマンの様な営業マンが現れるが、そういう人のマネは出来ないからコツコツとセール―トークとロープレを磨かなければいけないと言われました。私はスーパーマンの様な営業とはどういう人かと聞きました。私は凄い人脈を持っている人でほっといても保険が取れるような人かと思っていましたが、答えは違いました。あり得ないくらいセールスの出来る人がいるのだと言われました。確かに私が松山支店に戻ってからも2年上の先輩で1人いましたが、その凄さの秘密はその時はわかりませんでした。

半月の研修が終わり松山支店に戻りました。戻った初日に早速、飛び込み営業に出されました。初日なので同期のF君と2人で営業周りをする事になりました。1人だと気持ちが折れてしまう事も考えての事でした。2人で朝生田の今のDCM(ダイキ)周辺の会社を順番に飛び込みしようと決めました。1件目に私が塗料店に入りましたが門前払いでした。隣は三菱電機の家電店でF君が入る順番でしたがF君が三菱電機のグループ保険に加入しているはずだから意味がないと言って営業には行かないと言うので、私がセールストークの練習だから断われて元々と言って中に入りました。社長と思える70才位の方が話を聞いてくれて一通り話をすると、直ぐに明日契約するから午後から来てくれと言われました。私は呆気に取られましたが半信半疑でした。翌日初めての契約に行くと社長が私に、「今月は成績が悪くて困っていたのだろう」と話し掛けてくれました。私は「そうです」と答えました。とても2件目の飛び込み先で、初めての成約先とは言えませんでした。社長には私の困っている様子が伝わり助けてくれたような初契約でした。金額は年間で24000円程です。この契約を1250件取れば独立出来るという事です。2日目からは1人で営業に向いました。1日中飛び込み営業を続け断れ続けられるとメンタルが参って来ます。数日してから宮西のフジグラン近くの作業服の販売店に行き営業をした時です。会社に帰ると1年先輩の岩田さん(年齢は3才下)が訪問先にお礼状を書いていました。お時間を頂いて話を聞いてもらったのでお礼状を書いていると言うので私も真似して書いてみました。1週間程して作業服の販売店に行くと「丁寧なお礼状を頂いていたね」と言って頂き契約して頂きました。契約金額は48000円でした。2週間程の飛び込み営業をして100件飛び込むと10件ほど話を聞いてくれて、1件成約になるペースという事が分かって来ました。

この時期は流石に5年程続けていた日々の将棋の練習も出来ない日があり、大会に出た記憶はないのですが、賞状を探してみると広島研修に行く前日の10月8日(日)に第37回今治みなと祭り将棋大会で準優勝、2週間の研修が終わって帰って来た10月22日(日)に第29回今治王将戦で3位の成績が残っていますが、大会の内容対戦相手は全く記憶がありません。

2ヶ月の研修期間中に、何とか5件の契約を取る事が出来て12月1日付けで正式なIS社員となりましたが、ここからは日々が数字との戦いでした。

将棋の方は11月の松山支部の月例大会王座戦に参加した時に、T市さんという方に声を掛けられて、私の人生は予期せぬ方向に進んで行きます。

(続く)