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#44 「AIU保険会社IS社員時代 4」
松山坊っちゃん支部発足へ 3

2024.2.8 更新

児島有一郎

平成8年の6月2日(日)愛媛勝山支部の設立記念大会の「勝山杯争奪将棋大会」の開催日となりました。会場は愛媛囲碁将棋会館です。参加者は事前申込制でパンフレットにトーナメント表を印刷した為に事前に分かっていたのですが、優勝賞金20万円の割には参加者が少なく58名でした。しかも大会に参加した事のない新支部会員の方にも無理して出場をお願いしての人数なので私としては残残念な感じでした。参加者が少なかった理由の3つ考えられました。1つは参加クラスが1つだった事です。当時のアマ棋王戦だと150名以上の参加者があったのでせめて3クラス制にしてB・C級は参加費を安くしていればもう少し集まったはずです。もう1つは告知力の不足がありました。愛媛新聞に後援して頂きましたが、基本的に賞金大会の後援はしないとけど、1回だけという事で、新聞の「町から村から」欄に掲載してもらいましたが、賞金大会という事で伏せて日程と会場の明記のみでした。もう1つは参加費が愛媛県内にしては高めだったと言う事がありました。当時の県内将棋大会の参加費は1000円参加賞付が普通で、昼食付だと1500円でした。この大会は優勝20万・準優勝5万・3位3万・4位2万で、負けたら終わりのトーナメントで予選も無で参加費3000円(参加賞で500円の記念テレホンカード付)は、強豪でないと高いと思えるはずでした。全国のアマ強豪からすれば高くはないでしょうが、地方大会では参加費が高額でした。県内の強豪でも参加費が高いから出ないという人もいました。しかし、少なかったですが全国の有名強豪も参加してくれました。大分県からは全国アマトップの早咲誠和さん、東京からは元奨励会三段で全国アマ王将の鈴木英春さん、山口からも全国優勝経験のある北村公一さんらが参加してくださいました。早咲さん鈴木さんとはこれを切掛けにその後も交流を続けていく事になります。大会は鈴木英春がベスト16で、松山の増田茂記さんに敗れる波乱がありましたが、私はこの対局時の事で驚いた事がありました。この将棋は増田さんが会心の将棋で鈴木さんに勝ったのですが、その将棋の終盤戦を観戦していた。早咲さんが増田さんの棋歴を尋ねて来ました。私は県大会のベスト8位の方ですと答えると、増田さんの棋力は全国アマ名人級だと言うのです。私は驚きました。私は大学生の頃こそ増田さんに大会で連敗しましたが、それ以降は相性が良く大会で10連勝近くしていました。増田さん私より1回り位上の年齢ですが、年齢よりは老けて見えました。私は中学生の頃から増田さんを知っていましたが、いつも斜め掛けの鞄を提げていました。大人になってわかったのですが、増田さんは病気を患っておりその鞄には薬が入っていて、注射(点滴)を打ちながらの対局だったようです。高校時代は松山北高校で実弟の木村建雄さんとの3人チームで全国高校選手権団体戦準優勝を成し遂げています。また、増田さんの高校時代からのライバルだった藤田博将さんは全国高校選手権優勝、愛媛県代表数回と実績のある県内強豪だったので増田さんの潜在的な力は同等の力があったと考えられます。私の力ではそれが分かりませんでしたが、早咲さんには一目で見抜けたのかも知れません。少し余談な話ですが、藤田博将さん実家の稼業は王将寿司と言うお寿司屋さんで、お店で将棋を指して練習していたと増田さんに聞きました。寿司屋で練習すると藤田さんのお父さんが無料で寿司を振舞ってくれる事が楽しみで将棋を指しに良く行っていたと話され、学生だととても羨ましい話だと思いました。また、増田さんのお父さんは木村島吉さんと言う松山市内の強豪で私は高校時代に、松山・宇和島対抗戦で当たったのですが、その木村さんが増田さんのお父さんだと知るのはそれから数年経っての事になります。

大会が進行して行き、お昼が過ぎた頃でした西口支部長が私を会場の隅に呼びました。そこで困った事になったと言うのです。T市さんに賞金を出してと言うと、集めた協賛金が1円も残ってないと言い今日は目録だけ渡そうと言うので、支部長が私に相談してきました。私は内心は、私が何度、忠告してもT市さんの方を持って私を信じてくれなかった西口支部長に「私の言った通りでしょう」と言いたい気分でしたが「君の言う通りだったと」謝る西口支部長にそんな事は言えませんでした。流石に目録だけでは拙いので、大会が終わるまでに、優勝賞金20万を用意しなければなりません。参加費があったのですが、準優勝以下の賞金と大会会場の使用料、指導対局に来て頂いた鹿野圭生女流初段の謝金等を支払うと参加費だけでは少し不足するので、その場で25万程は足りない状態でした。西口支部長も「今日の所は目録だけと言う訳にはいかないかなと」というのでそれは拙いと思いますと言うと支部長は会場を出て行きました。2時間程して戻ってくると、お金を用意して来たと言われその日は一先ず凌げる事になりました。

大会は順調に進み決勝戦は早咲さんと愛媛のO氏(赤旗名人戦全国ベスト4の実績)の対戦になりました。私が棋譜を取ったのですが、早咲さんの攻めが無理そうに見えたのですが、細い攻めを上手く繋げての完勝でした。全国トップ実力を見る事が出来ました。大会の結果は、3位北村公一(山口)さん4位山口正彦(宇和島)さんと県内と県外勢で分ける事になりました。またこの日は敗者戦としてトーナメント戦を行いその優勝者には賞金1万でした。ここは鈴木英春さんが優勝して力のあるところを見せました。打ち上げの席で鈴木さんが「増田さんには上手くやられたけれど、賞金1万という事はこの大会で5位という事ですから」という言葉が今でも印象に残っています。

大会の最中はお金の事でT市さんと話す事はありませんでした。本人も何も言ってきません。大会が終わり打ち上げを新立町にあった活き魚料理の美登利で行う事にしていました。ここの予約もT市さんがしていたのですが、およその人数で予約していた為に席が数席あまりそうでした。そこで大会を見学に来ていた私の当時友人だったN氏に声を掛けて無料で参加しないかというのです。N氏は県代表に近い棋力がありながら、この大会は参加費が高いから参加しないと早くから言っており、本人が参加しないだけならまだしも、他の私の棋友にまで参加費が高すぎると言って回っており、私にはこの大会の妨害をしている人としか思えませんでした。また、参加もしないのに朝からずっと会場に来ていて何を考えているのかわからない人でした。松山支部の関係でT市さんとN氏の面識はあったのですが、N氏を誘う事はないと私は思いました。私は席が余っているからと大会に参加してくれた別の友人にこえを掛けましたが、数人は無料で参加するのは悪いからと、辞退したり参加費を払って参加してくれたりという方でした。N氏に私はせめて新支部に入会するようにと言っても首を縦に振りませんでした。その後もN氏が松山坊っちゃん支部に入会する事はありませんでした。

大会の翌日、私は西口支部長に呼ばれ西口内科に行きました。そこにはT市さんが座っていて、支部長から事の顛末を伝えられました。最初に協賛金を預かって持ち慣れないお金を持ってしまったので、そのまま呑み代として使ってしまったと言うのです。パンフレットの印刷代・賞品代・親睦会の支払い等が残っており、総額100万は西口支部長が弁済すると言ってくれました。その他T市さんには支部の役員は降りてもらい、支部会員も脱退してもらう事になりました。また、T市さんが勝手に日本将棋連盟に登録した愛媛勝山支部の支部名も松山坊っちゃん支部に変更する事をその場で決めました。T市さんからは最後まで謝罪の一言もありませんでしたが、T市さんが外れてくれる事で私のストレスは軽減される事になる事でホッとしました。しかし、T市さんがいなければ今の松山坊っちゃん支部がなかった事も事実であり複雑な心境です。これが新支部の発足大会の顛末です。

少し遡りますが平成8年の年明けから、平和通りにあった栗原利幸さんの所有の囲碁将棋会所で毎週土曜日の午後から子ども将棋教室を始めました。募集はリビング新聞の数行広告で行いました。まず生徒が2人兄弟の小学生と幼稚園児が入会してくれましたが、私も指導は初めてで何をしたら良いのか全く分かりませんでした。ただルールを覚えたばかりの子どもに平手で指すのは意味がないと思い駒落ちと詰将棋を始めました。この指導は今も同じなのですが、駒落ちをしていて一番困った事は、子ども達が平手の戦い方が分からない事でした。しかし、平手の将棋を教えると駒落ち定跡と平手の指し方が混乱してしまって上手くいきません。私は敢えて平手は指さない事にしました。暗中模索の中での将棋教室でしたが生徒は徐々に増えて行き10名程になり形なって来た頃でした。永井兼幸さんから愛媛社会保険センターと言う所で将棋教室を開講しているのだが、私に任せたいので一度見学しに来てほしいと言われました。時間帯は、私が将棋教室をしている時間帯と少し被っていたのですが、空いている時に見学に行こうと思っていました。すると次の土曜日に永井さんから連絡が入り、今から社会保険センターに来てくれと言うのでした。偶々、教室がない日だったので私がセンターに行くと永井さんが私を次からの講師だと生徒さんに紹介し始めました。私は流れのままに今も続いている(現えひめ文化健康センター)愛媛社会保険センターの講師をする事になりました。社会保険センターは当時、厚生労働省の中の社会保険庁の管轄で国の運営するカルチャーセンターでした。受講料が安く生徒さんには人気で多い教室では受講受付日に行列で申し込みがある程の人気でした。将棋は定員30名に対して15~20名程と説明されました。私が引き継いだ時は大人の方ばかりで20名近くの方が在籍していました。私はそのカルチャースクールをする為に、囲碁将棋会所の栗原さんに事情を話しそこの生徒さんを愛媛社会保険センターに移動してもらうように保護者の方に説明もしました。数名の方は場所の関係もあり移動してもらえなかった方もいましたが、半分ほどの生徒さんには愛媛社会保険センターに移ってもらう事が出来ました。

(続く)